先述した通り、革命戦争の敗北後にナイアガラ周辺に在留することを許された英国派側の家族たちがおりましたが、彼らがのちにナイアガラ周辺で集落、村、町を始める最初の人間となっていきます。ベンダーや、彼と同様に元バトラーズ・レンジャーズのメンバーだったジョンとピーターのセコード兄弟も、そのうちの数名に挙げられます。当初連れてこられた地域から西やナイアガラ川の近くに移動しながら、1780年から1807年にかけて、それらの家族の数は拡大していきます。余談ですが、ベンダーの住んでいた家は、現在カジノで栄える繁華街のすぐそこだったとも言われています。

大規模なインフラ改善:ポーテージ・ロード

この頃、人口の増加に伴い、物流に対する需要が大幅に増えますが、搬送のスピードがそれに追いついていませんでした。物、また人の流れをより速くするため、1788年に道の整備が始まります。この時に整備され、物や人の行き来を数倍もスピードにしたのがポーテージ・ロード(Portage Road)という道です。後にさらに開発されていくこのポーテージ・ロード周辺地域には、人の行き来が増えたため、必然的にその後ホテルなどの宿泊施設が建てられ、栄えていくことになります。

1817年には人口が1,200人までに増え、人々が生活していく上での必要なものもまた増えていきます。この頃、ナイアガラの滝の初期の商業が始まり、1785年から1816年にかけて、多数のビジネスが繁栄していきます。その中のいくつかとして、製粉工場、革製品産業、製靴業、仕立て屋などが挙げられます。また、1818年にはスカイロン・タワー付近に初の蒸留酒製造所が建てられたというのですから、人々の生活にも徐々に余裕が出てきたことが想像できます。

また、冒頭でも触れた様に、産業の発展とポーテージ・ロードが互いに相乗効果を起し、周辺には外部からも人が入ってくることになります。1791年には、このあたりには1つしかなかった宿泊施設が、1799年には約4つに増えます(今日の大きな都市ですと、4つではとても少なすぎると思われるかと思いますが、今とは人口が全く違いますし、記録に残っていない小さな規模の宿泊施設もあったと考えられています)。1809年には、アメリカ側のナイアガラの滝付近にもホテルが建設され、この頃からホテル建設がどんどん盛んになっていきます。

1816年には、公共交通乗用具として、駅馬車(通常4頭の馬にひかれて走る屋根付きの馬車)が$5の運賃で運航を開始し、周辺住人の足となります。
これ以降、地域の発展は産業的なものから工業的になっていきます。
1826年には、初の釘工場が作られます。

地域全体の発展が急激に進み、人々の生活が徐々に安定していく中、状況を一気に変えてしまう出来事が起きます。それが「米英戦争」です。